それでもつづく!

学生です。楽しい文章を書きたい。

“それでもつづく!”

ブログで紹介されているオススメの本ばかり読むのはナンセンスだよね

先日は一日中、母親の買い物巡りに付き合っていて、かなり多く移動の時間があったので移動中の車内で本を読んでいました。

 

読んだ本はこれ。

 

ツイートに意見を書いてしまっていますが、久々に本を読んで時間を無駄にしたと感じました。

 

はじめに

少し紹介すると、

復習する際、5秒すらもムダにするな!という旨の文章があり、それに付け加えられた文が

 

たとえば、テレビの15秒CMの場合、放映するだけで1500万円くらいかかったりするのです。

「1秒100万円です!」ということは、5秒をムダにするということは、500万の損! な訳です。

(本当に頭が良くなる1分間勉強法 石井貴士 中経出版 より引用)

 

というものでした。 

同じ表現の連続した使用についてもツッコミたくなりますが、テレビCMを打つのに大きなお金が必要なことを、ここで「たとえば」と言ってしまっているのがヒドイ。このような、高校生でもわかる「例えのズレ」がいくつもありました。

 

読み終わってから、う〜ん読まなくていい本だったなぁ、と悔やんだわけですが、そこでふと思ったことがあります。

 

それは、「あれ、最近こういうことなかったなぁ」ということ。

 

繰り返しますが、本当に久しぶりに読書をして時間が無駄になったと感じる経験をしたんです。

 

思い返すと、ブログを始めてから他人のブログに依存して読む本を選別する機会がうんと増えました。確かに、よかった!と思える本ばかりと出会い、ハズレだと思う本は滅多に出会わなかったんですよね。

 

で、久々に古本屋でテキトーに手に取った本が外れた。

 

あれ、果たして本当にこれでいいのかな?と考えてみると、これに反発するような考えが生まれてきたので、記事にすることにしました。

 

ブログでオススメされた本ばかり読むのはある種の思考停止な気がする

人はいい方向へ進んでいきたい生き物です。失敗するより、成功を望んでいます。

誰だってそうですよねー。

 

例えば、そんなうちの一人、Aさんがオススメの成功哲学の本についてまとめられたブログを見つけ、リンクをポチッ。この時点で成功しているのは誰でしょうか?答えは単純。成功者はAさんが手に取っている本の著者であり、ブロガーでもあります。読了後のAさんは少しの高揚感を味わうことのみに留まることになるでしょう。だってAさんは、本を読んでいる時点で施されている身ですし、本を選択するプロセスすら欠いているのです。

 

いくら本の中で、「施す側の人間になれ」っていう見出しがあっても、自分の置かれている状況に気づかず、「なんだ、できそうじゃん!」と舞い上がるのがオチ。ブロガーにすら搾取されている皮肉な話です。

 

まずはこれに気づくこと。ブロガーの方をはじめとするリテラシー高めの人たちには関係のない話かもしれませんね。

 

次に言いたいのは、オススメされた本は前提として「この本は良本だ」というイメージがついて回る、ということです。

 

自分の感性に基づいて手に取ってみた本は、

「これは納得できないなぁ」だとか「あれ?これさっきのデータと矛盾してないか?」と考えながら読むことができますが、

いい本だ、とわかって読む本ではこれらを考えることが難しくなります。前提として、脳はいいコンテンツと判断してしまっているからです。

 

つまりあなたの読書は何人ものブロガーから面白いと評価を受けた、超がつくほどに安全な体験にしかならないのです。

 

これは一種の思考停止とも言えるのではないでしょうか。

 

また、人気ブロガーのブログを読んだブロガーが同じ本を紹介する光景はよくあるものです。ブロガーが紹介する本には流行のジャンルに偏る傾向があるので(だってリンクから本を買ってもらいやすいでしょ?)、web上に満遍なく情報が行き渡りません。

 

確かに、いいコンテンツは万人から支持されますし、それがブログを通して発信されることでさらにそのコンテンツは売れる、という現象はいいことです。

ただ、みんなが同じような本を読んで、同じように感化されるって、少し悲しい気がしますね。

 

僕の読書観

アウトプットは必須

少し、僕の読書観について書かせてください。

特に、アウトプットなくしてその本を自分の一部にすることはできないと思っています。インプットに依存するだけでは、搾取される側から抜け出せません。

 

読んで思ったことを文章化するのはそれなりに難しいですよね。

 

例えばあなたが自身のブログに書いてアウトプットするとしましょう。ブログというものは基本的に読者に価値を届けるものですから、読者が満足するための施しをしなければなりません。わかりやすい例で言えば、「この箇所は、以前の〇〇した経験と似ていて大切さを痛感させられた」みたいな、経験をリンクさせることなどです。

 

また、ズバリ「この本はこうだ!」と指摘しても、その意見を支えるための前提となる知識がなければ説得力のない文章になっちゃう。だから意見の穴を埋めるための知識をもう一度本の中から(他の本の場合もあり)引きずり出してやろうとします。

 

ここにきてやっと能動的な姿勢になってくるんですよね。

 

僕自身、1ヶ月分のお小遣いを叩いて買ったジブン手帳のIDEAという冊子に感想を書き込むようにしています。常に持ち歩く手帳でしたらいつだって見返せますし、「この本でビビっときたフレーズはこれ!」なんてのを書き込めば、読んだ当初のドキドキを再体験することができます。

 

逆にアウトプットがなければ、読んだ当初に考えた「よし実践しよう!」というイメージはただのイメージでしかありませんし、何も残りません。

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本を読む目的を考える

何かの勉強をしたいときに手に取った本であれば、「この本で〇〇を学び取ろう」とあらかじめ考えることは重要です。目的を明確に持つことですね。

ただし自己啓発本に関して言えば、何かを学び取ろうとしたところであまり意味はないように思えます。大まかに書いてあることは大体どの本も同じですし、「今の自分少しズレてるかな?」なんていう多少の気づきがあれば十分でしょう。これ以上のめり込むと、いわゆる自己啓発本オタクになりかねません。本に挟まっている例のハガキに書き込んで応募しちゃう人らは典型的な搾取される側の人だと思っています。もちろん全てとは言わないですけどね。

 

新しく得たもの

自分で良書を探す技術。これはやっぱり大事だなあと、考えました。

 

読書って受動的になりがちなものです。本というものは、そもそも誰か偉い人(かどうかはわかりませんが)の考えたことを、考えた本人が文字に起こしたもの。

つまるところ、読書というものは他人の考えをなぞるだけの行為ですし、そこに己の思索はありません。

 

何が言いたいかというと、他人の考えをなぞった人(ここでいうブロガー)の思考をそのまま借りて面白そう、ためになりそうな本を選別していたら、自身の能動的な姿勢は0であるということです。

結局、何も生み出せない受動的な存在でしかいられないのです。

 

これを改善するのがアウトプットという話もしましたが、自身で良書を見つける技術はやはりつけるべきでしょうな。

(だからと言ってブロガーになれとは言わないけどね、)

 

最後に

僕らが本を手にとって、「この本はきっといい本だ」と吟味する経験が、これから出会う本の価値を左右しますし、賢い読書ができることにつながります。

 

自身の成長こそがいちばんの自己投資だとみんな本を読んでわかっているのに、自分でいい本に出会う力をつけようとしないのは問題だと思うんです。

 

まあそんなこんなで、たまたま読んだ悪書が僕の読書観を改めた、っていう話でした。

 

おまけ

僕は、古本屋でなんとなくブラブラしながら気になった本を一冊ずつ手に取って、読むべきか否かを吟味する時間がたまらなく好き!

それとなく手に取った料理本に感化されて、いざ料理しようと家に帰ったらもう夕飯が食卓に並んでいた、なんていうのもいい思い出です。付け加えると、それ以降料理がしたくなる機会がありません。

 

結局、読書なんてそんなもんなんですね。

 

おしまい