Entranced

だらだらダイアリー。心を解き放て

20歳になった

アルバイトのシフトを2週間くらい出すのを忘れてしまって、シフトが真っ白になった。それで温泉宿でもとって、ひとりでゆっくり旅をしようと考えた。本当なら今頃旅館でこのブログを書いているはずなのだけど、そんな週に限ってひどい雨が降ります。先日買ったミラーレス一眼を持って写真を撮りたいと思っていたので、丸一日雨なのはダメだな。それに、ヒッチハイクで行こうと思っていたし。

10月21日で、20歳になりました。せっかくの誕生日だというのに、宿にもいなければ扁桃腺が腫れていて、頭も痛い。風邪だ!そんなわけであったかくしながら自宅の机に向かって書いてます。

 

去年の誕生日のエントリを見返していると、ずっとうねうねした治療のことや精神的な成長のことを書いていたけど、今思えばそれ以外に書くことがなかったんだよね。ましてや誕生日に振り返るものなんて。それは結局、今年も変わらない。

ずっと行ったり来たりだ。もし、いつも読んでくれている人がいるならお分かりでしょうが、いつだって同じことを書いてるのですここでは。今年に入って書いた2本の日記はすごく希望的なフレーズが目立つけど、その後一気に睡眠が乱れて、精神的にも落ち込んだ。この生活にももう慣れてしまって、調子の良し悪しの変化に落ち込むことはなくなったものの、そうしている間にもこうして、歳ってとる。

家族の誰よりも早く寝て、家族の誰もがとっくに家を出た時間にひとりで目覚めると、やっぱり毎日嫌になる。薬を飲んでいてもこうだ。自然な体内リズムに任せた睡眠ができたらどんなに素敵だろうか!毎月1万円弱の病院の出費だってなくなるし、いつも同じのカウンセリングも、それにかける往復の時間もない。

 

去年も、そしてきっと来年も言ってるんでしょうが、僕はいつだって余裕を持っていたいと考える。自分のことを考えず、他の誰かになにかを与えられるようなことがいつもできれば素敵だと思う。

僕が去年こう考えていた通り、19歳の一年は本当に、余裕を持てるよう努めたし、そしてそう振る舞った。ただし、内側から湧き出てくる余裕も感じたなら、それはきっと嘘だ。冷静になった時、いつもそれは向精神薬のせいなんじゃないかと考えてしまう。もはやもう何も分からないけど、少なくとも“そう努めること”“そう振舞うこと”で得られたものは多くあった。

だよね?対人関係がうまくなったし、人に感謝されることも増えた。自分がいつも心がけてきた気配りみたいなものを、似た形で返してもらう機会も増えた。そうそう、アルバイトにしたって、マネージャーに呼び出される度叱られている僕だけど、こないだはとことん褒めてもらった。そこで、シンプルに「嬉しいです。ありがとうございます。褒められることは稀だから、嬉しいです」と言えたことがどんなに嬉しいか。家に帰ってじっと考え込んで、涙が出そうになった。そして僕は余裕があるので、それ以上に騒がない!

結局本当のところは、ひとりだ。みんな。それでほんとのことが知りたくて 嘘っぱちの中旅に出るのです。そして僕はもうはたちです。ティーンエイジャーじゃないのです。お酒が飲めます。蝸牛の歩みだけど、齢とともに成長しています。もう少し立派になってくれないか、とご馳走の席で祖父母や両親にささやかれるけど、僕は“そう振舞う”ばかりだ。

 

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