明けましておめでとうございます。
このブログもしばらく運営してきてまさに「雑記ブログ」と言った風になってきました。まあ元から「雑記ブログ」という名目で運営してきましたし、スタンスは変えるつもりはありません。ただし、レビューや旅の記録メイン(全然旅記事書いてないけど)という風にしておきます。レビュー好き!たまにテキスト!みたいな感じで。
新年一本めの記事は、書評です。著者はと言うと、はてな匿名ダイアリーで定評のある「"Hello world!"」の方。ではどうぞ。
はじめに
「"Hello world!"」の増田、と言ってもピンと来ない方がいると思うので、書いておきます。著者の方は、これらのエントリを投稿された方です。それ以上は知りません。なお、時系列順。
- 「"Hello world!"」-はてな匿名ダイアリー
- 「HTTP/1.1 200 OK 」-Qiita
- 「惑星を動かすプログラム 」-Qiita
- 「人生に物語は要らない」-はてな匿名ダイアリー
id:lucienne_rinさんのこのブコメで知りました。ありがとうございます。
人生に物語は要らない
- [文章書き]
この増田は"Hello world!"を書いた増田です。件のkindle本のタイトルは『ハッピーエンドは欲しくない』です。僕は買いました。
2017/12/27 07:36
ちなみに、ここでの「増田」ははてな匿名ダイアリーのエントリそのものを指していて、決して著者を呼び捨てにしているわけではないことを添えておく。(紛らわしい)
著者の作品に最大の敬意を込めて。
書評『ハッピーエンドは欲しくない』
久々に一気読みできる書籍に出会ったぞ!とうきうきしている。
この本は、作者の経験と発見がおおよそ時系列順に、あくまでフィクションとしてつらつらと書き連ねられた作品で、Kindle版でしか販売されていない。(500円)自分はKindle Paperwhiteで買って読んだ。以下は商品ページより引用。
ハッピーエンドは欲しくない。
僕が本当に書きたかったのはこの一文だけなのだけど、その意味を正確に伝えるためには、気が遠くなるほどたくさんの言葉で修飾しなければならない。
深夜ラジオ、市立図書館、インターネット、プログラミング、コンビニ夜勤、工場派遣、零細、大企業、ITベンチャー、西成、自立支援センター、アジア放浪、ハマータウンの野郎ども、セルフパブリッシング。幾層にも重ねた言葉たちは、いつしか物語になっていく。
それはとてもありふれた話だ。起承転結もなければドラマもない、どこにでも転がってる、道ばたの石ころの話だ。
だけど僕はこの物語を出版しよう。どんな文豪にも決して書けない、僕自身の物語を。
※このお話はたぶんフィクションです。実在の人物や団体とはあんまり関係ありません。
著者は「それはとてもありふれた話だ。起承転結もなければドラマもない、どこにでも転がってる、道ばたの石ころの話だ。」と言う。宇宙が誕生して、人類が誕生して、長い長い人類の営みを経て今があるとすれば、人一人の一生などちっぽけなものであるけれど、道ばたの石ころの話が歴史を作ってきたのも事実です。
ただし、そんなことなどおかまいなしに僕たちは今を生きてる。かつかつと生活している上で、誰かの波乱万丈な一生がテキストで追体験できると言うのはすごい効率のいい営みだと僕は思ってます。
著者も本の中でこんなことを言っています。
ここには著者の生きてきた時間が凝縮されている。ひとりの人間が何十年とかけて積み上げてきたものを、短時間で吸収できるのだ。思想、哲学、発見、知見、そしてメッセージ。活版印刷がどうして人類史上最大クラスの発明なのか、わかった気がした。どんな高度な思想や学術的発見があっても、多くの人に伝えられなければ意味がない。知識というのは伝達されるから意味があるのだ。知らないものは存在しないのと同じだ。本は、ちっぽけな人間の偉大な知識を東西南北の全方向に広げていく。そしてその著者の知識も、過去の誰かの知識の上に成り立っている。だからこれは、平面上だけでなく時間軸上にも広がっているのだ。本とは、過去と未来をつなぐ鎖なのだ。何百年という時間が経過しても五線譜があれば音楽を再生できるように、本があれば知識を再生できる。まさに記録なのだ
-位置: 284
ここまで長くなってしまったけれど、結論から言うとこの本を読めて本当によかった。そもそも、西成でのホームレス日記や自立支援センターでのやりとりがキンドルセルフパブリッシングで放たれるのはものすごくすごいことなんじゃないかと思うわけです。文章の節々からリアリティを感じたし、とても価値あるテキストだった。
「安定」に近づいたらバックレる
大半の上記のような経験は、その体験者の胸に留められたまま、消えて無くなってしまう。なぜ著者は、そうでなかったのか。そこには、筆者の「なんとなく居心地が良くなってしまうことを嫌う」性格に起因する。
この「居心地の良さ」と言うのは、「自分の存在がその環境に受け入れられた状態」だみたいだ。僕の感覚とはだいぶ違った。だから著者は、いくら西成でホームレス生活をしていようと、なんだか馴染めてきて周りから認められるようになってしまえば他へ他へと流れていってしまう。
この辺りは「"Hello world!"」を読むだけでこのような著者の性格が垣間見えると思う。とにかくバックレる。バイトや派遣先の雇い主が引き止めようと、否応無しに。
個人的には、ここだけでエンターテイメントだった。だってそうでしょう?そういう話は案外ありふれていても、みんながみんなできるわけじゃない。僕にとっちゃすごく非日常的で、そのリアリティーに心が躍ってしまうのだ。
ハローワールド
そうやって「安定」から逃げながら(例えが悪いけれど、プロブロガーの「安定はクソだ!」を地でいく感じだった)、筆者は世界を旅することになる。そして多くの気づきを得たり、疑問が生じたりする。学校では教えられなかったこと。安定の中では気づけないこと。
この辺りは2017年、最も売れた本の一つ「君たちはどう生きるか」に近しいものを感じました。なんと言うか、誰もが一度は覚えるようなプリミティブな感情があって、その大半は大人になる過程で失ってしまう。「君たちはどう生きるか」では、多感な主人公のコペルくんのすぐ側に博識な「おじさん」がいて、「その感情を忘れないで。とことん追求してみるんだ」と言う風にアドバイスを送るのだけれど、そんなに都合よく、有識者はそばにいるものでないよね。
そう言う意味で、「プリミティブな疑問の正体を、激動の日々の中で解き明かした」みたいなテーマ性を持っている。具体的にいえば、ーー気持ち悪く感じていたイデオロギーの正体はこんな感じだったーーみたいな。(映画「スラムドッグミリオネア」を観た時と同じ感覚を覚えた。)
映画を鑑賞済みの人ならわかると思うけれど、「スラムのこんな体験があってして、俺はこの問いに答えられるんだ」と言う演出。近いものを文章から読み取った。西成での、プログラミングを学ぶ上での、バックパッカー経験での、これら一つ一つのシーンを摘んで、いくつもの答えを導く上での根拠として持ってくる。このシークエンスに感心させられます。
未読の方ももう分かってもらえると思うけれど、増田での、章題での「Hello world!」「ハローワールド」は、プログラミングを学ぶ上でまず初めに出力することになる文字列と、世界を旅する上でのそのままの「こんにちは、世界!」の意味を持っている。
ハッピーエンドと物語
著者は、「人生に物語は必要ない」であったり、「ハッピーエンドは欲しくない」と言う一貫したメッセージを放ち続けているけれど、「今ワクワクする体験ができてればそれでいい」と言うところに集約できるように感じていて。
1年利用してきた「はてな」のことを思う - Entrance Part2
僕は以前このエントリに記したように、誰の人の一生もだいたい一本の長編映画くらいにはなると思っています。一本の長編映画“にも”なるのか、一本の長編映画に“収まってしまう”のか、それは分からないけれど、時として「物語性」が誰かの心の琴線に触れ、その誰かを突き動かしてしまうことがあるのだ。
僕だってその一人だ。「"Hello world!"」のエントリに感銘を受けて、「ハッピーエンドは欲しくない」を購入して、勇気を授かった。これは「はてな匿名ダイアリー」無くして成り立たなかった体験だし、すると「株式会社はてな」の創業にも感謝しなければいけない。どんな事象も、辿っていくと様々な物語の上に成り立っているものだ。そうやって歴史は紡がれてきて、今の僕がいる。デカすぎるかな。
そう言うわけで、僕はその、人生における物語を大事にするべきだと思っている。そのスペクタクル要素に関わらず、長い時間をかけて創っていけばいい。だから、ーー少なくとも僕はーー人生に物語は必要だと主張したい。できれば、自ずとハッピーエンドを連れて来る物語を創りたいものだ。
他の方の解釈のっけておく
人生に物語は要らない
この、面白いけれど脈絡なく並んだいろんな話、それこそが「物語」のなさってことなんだろな。我々は映画や漫画など「物語」つまり意義や因果に囚われて生きている。それは後付けでしかないのに。目の前を生きよう。
2017/12/27 01:18
総評:『ハッピーエンドは欲しくない』
2017年は、良くも悪くも「バックレ耐性」が付いた一年だったので、なんだかものすごくタイムリーな本というか…。
僕は、自分がうつになった原因がさっぱりわからない。でも、予兆みたいなものはあったのを覚えている。毎朝、登校する際に「なんで君は毎朝学校に通うためにバイクを漕ぐのか」と友人に毎日のように聞いていた。なぜみんなは毎日学校に通えているのか、常に疑問だった。そんな僕でも、実のところ1・2年の頃は遅刻ゼロだったのだ。疑問に思いつつも、みんなも大変だろうしそれが当たり前だろう、と必死になっていた。
2年生の終わり頃、部活をバックれ始めた。なんだかめんどくさくなった。顧問の先生には「こんな夢があるので部活やってる場合じゃない」みたいなことを言ったけれど、そんなことはどうでもよかったのかもしれない。とにかく、休みが必要だった。部活なんてバックれてもいいでしょう。
そうやってズルズルと休むうちに、幽霊部員みたいなものになった。そのままズルズルと引退した。いや、正確には引退試合なんかをやっていないので現役なのかもしれない。別にこれでもよかった。変に後悔することもなく、そのまま学校も休み始めた。
今でも鮮明に覚えている。学校を初めてバックレた前日、深夜、弁当箱を洗っていたら自然と涙が流れてきた。ああ、ダメかもしれない。本当に次の日、登校中に「帰ろう」と思ってUターンして自宅に戻った。小心者の僕がグレた。勇気がいったでしょうに。
心療内科では、両親の暴力と怒鳴りつけみたいなのが原因でうつ状態であると言われた。カウンセリングではだいぶ泣いた。先述した、「なんとなくズルズル落ちていくような生活を続ける中で、両親の家庭のピリッとした空気がアクセントになってうつになった」らしい。なんだか何をする気もわかない。ああ、失敗した。今でも後悔する。あの時の、Uターン、あの時の、あのちょっとした“勇気”がなければ、ここまで落ちて来ることはなかったんじゃないか。
僕といとことたのしいラーメンやさん - Entrance Part2
ここに至るまでの経緯は色々あるんだけれど、今まで絶対悪だった遅刻なんかも卒業のために堂々とできるようになった(バックレとは違うか)。
その後の自分の文章を振り返ると、「意外とバックれてリセットした方がスッキリすることもある」ということを学べたみたいだ。うん、よかった。すごくよかったです。同時に、ヒッチハイクをたくさんできた年でもあるから、なんとなく、バックパッカーの精神も育めたかもしれないですね。
ハッピーエンドは欲しくない。人生に綺麗なまとまりなんていらないから、せめて今日や明日、明後日はワクワクの一日であって欲しい。
そんな感じで、少しだけ最近の自分と重なる部分があって、終始心臓ばくばくしながら読めました。何はともあれ、18にしてこのテキストに出会えたことを嬉しく思います。2018、今年もよろしくお願いします。
購入ページ▶︎ハッピーエンドは欲しくない