最近、本当にごく最近、ランニングにはまっている。
とりあえず毎日走ることにしているので、例に漏れず今日もこれから走るつもりだ。
夕食を食べ終えてから、まだ間もないからランニングに出るまで筆をとることにする。
だいたい夜の9時ごろに家を出て、30分から1時間、長い時で2時間弱走る。
2時間と言っても、コンビニでドリンクを買う時間だったり、公園のベンチで休憩したりする時間を含めての2時間なんだけれど、僕にとって「2時間走る」というのはこれまで苦痛でしかなかった。というか、走ること自体好きでなかった。
ランニングをしようと思い立った理由は覚えていないけれど、「これから毎日走ってやろう」なんて威勢のいい考えは甚だなかった。
ただ、一日目のランニングで「明日も走ろう」と思い立ったのは事実である。
走ることといえば、学生の僕が思うのは体育の持久走であったり、スポーツテストのシャトルランであったり、または部活で行われていた学校の外周を走る「がいしゅう」であったりする。
そのどれもが僕は嫌いだったし、走っていてとても「気持ちがいい」と感じることはできなかった。
はっきりした理由はないけれど、「やらされている」という圧迫感が原因だろう。
そんな僕が、一回のランニングを経て「明日も走ろう」と思えたのは、きっと現在うつ状態にあって、外に出て運動することがしばし億劫になっていたからだと思う。
高校生が「うつ」になってからの話。逃げたはいいけど今後どうすればいいかわからない君へ。
走るのが気持ちがいいし、楽しい。
僕は歩きタバコが大嫌いだけれど、誰かが置いていった煙のトンネルを走ってくぐることすら「面白いな」と感じるようになった。
時々すれ違うジョガーには、様々な人がいる。
ものすごく「正解」に近いであろうフォームで腕をブンブン振り上げるお母さんや、キャップをかぶって常にうつむきながら走るお父さんもいる。
その誰もが足を前へ前へと勇ましく運んでいる様は、みていて清々しい。
現在、学校に行けていない僕は、ふと学校の近くまで走ってみることにした。
家から7km、往復で14kmもあるけれど、片道数十分でたどり着くことができることに気づいた。近所の公園のランニングコースをぐるぐるしてから帰る余裕ぶり。
この時、ある程度距離のある学校に行くだるさなんかが、綺麗さっぱりなくなった感覚を覚えた。あんなに遠く感じていたところが、足で容易にたどり着くことができる場所だとわかると、少しさっぱりした気持ちになれた。
この一連の中で得た知見としては、「何もしないのが唯一の怠慢」だということ。無計画にでも走り出して、前述したような学びが得られれば、それは人生にとって有益であるし正しいと思う。
さて、学校の近くまで行って帰ってくる往復14km。ひと月前の僕は信じないと思うけれど、ほとんど足を止めることなく、「気がついたらついていた」と行ったように走りきることができた。なぜか。自分の好きなように、好きなペースで、好きな時間に走っていることも大きい要因だと思うけれど、音楽を聴いていることが最もな要因だと思う。
最初は星野源のアルバムをひたすら流し続け、ここ最近飽きてきたのでフジファブリックを聞いている。気分に合わなければ、70・80年代の洋楽プレイリストを探す。
時々気分が上がって、イヤホンの中のビートに合わせて飛んでみたり跳ねてみたりする。時には思い切り加速してみる。これらは、10秒ほど後に息切れして辛くなる、という後悔のセット付きなんだけれど。
数十年前のミュージシャンが魂を込めて吹き込んだ声や音が現代に生きる僕の足をアスファルトから突き放すための原動力になっているというのは素敵だと思うし、僕がこうして文章をインターネット上に置いておくように、クリエイターが何かを創り残す本質的な意味に近いような気がする。
音楽を聴く、と同時に挙げた「好きな時間に走る」というのも大きなポイントである。
僕には好きな時間帯というのがあって、簡単に挙げるならば午前四時だとか夜の11時頃といったところだろう。
なぜ好きなのかを問われると、たくさんの理由があるのだけれど「人がいないから」というところに集約されると思う。
これまでの僕は、それらの時間に最寄りのコンビニまで散歩して、コーヒーや紅茶を買いに行くのが大好きだった。あの時間は僕にとって特別だった。
午前四時。地震があっても目覚めないほど、滅多に夜中に目を覚まさない僕は、徹夜をすることでしか覚醒状態でその時間を迎えることはできない。
もちろん好んで徹夜をすることはなく、うつになってすぐの頃、なかなか寝れず溢れるように不安が頭の中で湧いてきた夜。「こんなことなら起きていた方がいいや」と夜な夜な洗面所へ向かい、顔を洗ってコンビニへ向かった。
さらっとした空気に、薄暗い空。周りに通行人はおらず、新聞配達の原付だけが走っていた。
静けさの中にエンジン音が絡まって、僕の胸を高まらせた。レジで紅茶を注文して、熱々のカップをそっと握りながら帰宅。「映画を見ながら朝を迎えよう」と考え、ひとり観た「フォレスト・ガンプ」は僕の人生においてとても大切な存在となった。
長くなったけれど、やはり一人になれる、人がいない時間帯が好きで、その時間に走るというのは、意味がある行為なのだ。
なるべく一人になれる時間に大地をかけてみると、とりわけその時間を特別に感じた。
それからの僕は、専ら、走ることばかりを考えている。
「今日はこれだけ走った」とツイートしたら、「村上春樹氏がランナーとしても有名である」ことを教えていただいた。
今日は6km弱走った。夜走る分にはどれくらいの距離が妥当なんだろう
— けいいち (@keiichi1021) 2017年9月8日
僕がランナーとしても大好きな村上春樹さんの、こんな言葉があります。
— ジンボタカオ(神保貴雄) (@minamiuonuma) 2017年9月8日
「人生には長く走らないといけないときがある」
けいいちさんが、いくらでも走れると思ったら、どこまでも走っちゃって下さい!
興味が湧いたので二日前にAmazonで、彼の作品「走ることについて語るときに僕の語ること」を購入して、昨日届いた。ゆっくりと読んでいこうと思う。
そろそろお腹がスッキリしてきたし、今日はこの辺で筆を置くことにする。
日常に不満を抱いていたり、身近で生じている多くの軋轢の中で疲弊しているような人は、このエントリを読んだならすぐに家から飛び出してみるといい。
僕はこれから靴紐を結ぶ。きっと今日もイヤホンの中のフジファブリックに心酔し夢中になるだろうし、ロックスターはいつものように輝くと思う。それらの歌詞やメロディに何かを感じながら足を繰り返し前へ前へと運んでいくんだと思う。
最近、運動に対する関心が高まっているのか、ホッテントリでその類のエントリをよく見かけるようになった。
運動が脳に与える好影響が想像の範疇を超えていた! - ポジ熊の人生記
人間にとって「運動が最強のストレス解消法」である理由を知ったら運動が習慣になった - 意識高い系ズボラ
いくら科学的に説明されようと、そんなものとっくの前からid:xevraは言い続けているし、彼に教わった。
健康法だとか、寿命を縮めるか否かだとか、そんなものに熟考する前に走れ。
今すぐ走り出せ。
(最近購入したペンタブで描いてみた)